沿革・校歌
(県)甲府第一高等学校 |
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住所 |
甲府市美咲2−13−44 |
| 沿革 | 明治13年師範学校内に山梨中学校として創立。20年尋常中学校,39年県立甲府中学校と改称。昭和23年の学制改革で県立甲府第一高校となった。 |
校歌 |
作詞 上条 馨
作曲 小松 清 甲斐の国み中に建ちて 古へゆ雄心つたへ 新しき世の鑑とし 勉めてむこの学びやに
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(県)甲府東高等学校 |
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住所 |
甲府市酒折1−17−1 |
| 沿革 | 昭和52年創立。 |
| 校歌 | 作詞 山本 太郎
作曲 宍戸 睦郎 友よ我等はやってきた かたい絆を結ぼうと ああ母校うけつぐ伝統 アルペンはるか雲はゆき いま青春のはじまるところ 甲府東 東高校
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(県)甲府西高等学校 |
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住所 |
甲府市下飯田4−1−1 |
| 沿革 | 明治35年山梨県高等女学校として寿町に創立。38年県立高等女学校と改称。大正11年県立第一高等女学校と改称。13年県立甲府高等女学校と改称。昭和23年学校改革のため,県立甲府第二高校と改称。50年寿町から現在地に移転した。52年県立甲府西高校と改称した。 |
| 校歌 | 作詞 尾崎 喜八
作曲 平井 康三郎 立ちならぶ四方の山々 めぐる出る豊のながれに 美はしや甲斐の国中 歴史古る大き都よ ここにして母校のいらか 玉の窓空に映えたり
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(県)甲府南高等学校 |
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住所 |
甲府市中小河原町222 |
| 沿革 | 昭和38年創立。 |
| 校歌 | 作詞 草野 心平
作曲 清水 脩 曽根丘陵にそびえ立つ 富士の高嶺に雲沸きて ああ朋がらよ腕組まん 真善美 高きを求め 朋かせらよひたに進まん 大いなる夢を追いつつ 甲府南われらが母校 かがやくよわれらが未来
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(県)甲府工業高等学校 |
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住所 |
甲府市塩部2−7−1 |
| 沿革 | 大正6年甲府市立甲府工芸学校として創立。昭和11年市立甲府商工学校と改称,16年県立に移管。23年の学制改革で県立甲府工業高校となる。 |
| 校歌 | 作詞 小宮山 真
作曲 星出 敏一 甲斐の山脈明けゆく空の 明るき心保ちつつ 学ぶわれらに誇あれ 聞け鳴りひびく理想の鐘を 讃へばやいざ 甲府工業その名の誇
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(市)甲府商業高等学校 |
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住所 |
甲府市上今井町300 |
| 沿革 | 明治34年市立甲府商業学校として創立。昭和23年学制改革で甲府商業高校となる。 |
校歌 |
作詞 佐藤 春夫
作曲 箕作 秋吉 葡萄の房に武田氏に 何ぞ委ぬべき郷の名か 甲府商業高校の歴史栄えあり五十年 国土を拓き富を得て世に捧げたる人多し 府東の園は夢よりもうつつの富士の頼もしく
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(県)甲府城西高等学校 |
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住所 |
甲府市下飯田1−9−1 |
| 沿革 | 平成9年に機山工業高校と山梨第一商業高校を統廃合して甲府城西高校として創立。 |
| 校歌 | 作詞 廣瀬 直人
作曲 不明 見はるかす山あおあおと たくましき容連ねて 睦び合い競い合い はぐくむ友情 ここに今青春の日々 甲府城西羽搏く母校
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(私)東海大甲府高等学校 |
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住所 |
甲府市金竹町1−1 |
| 沿革 | 昭和21年塩山市に山梨高等経理学園として創立。その後,33年山梨商業高校,39年東洋大学第三高校を経て,49年東海大学甲府高校となる。 |
| 校歌 | 作詞 松前 重義
作曲 松前 紀男 山波つづく高原に 南に高く富士の峰 潔き自然のただ中に 礎なれるわが母校
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(私)山梨学院大付高等学校 |
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住所 |
甲府市酒折3−3−1 |
| 沿革 | 昭和21年山梨女子高等学院として創立。37年山梨学院大学付属高等学校に改称した。 |
| 校歌 | 作詞 古屋 眞一
作曲 坂口 五郎 舞鶴城の夢はるか 芙蓉の峯を仰ぎみて ここ山梨の故郷に 若人の学ぶ塔やあり
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(私)駿台甲府高等学校 塩部校舎・今井校舎 |
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住所 |
甲府市塩部2−8−1・甲府市上今井1279−2 |
| 沿革 | 昭和31年学校法人山梨自動車工業高等学校として創立。32年山梨工業高等学校に改称。49年甲府北星高等学校に改称。昭和54年10年に甲府北星高等学校を駿台甲府高等学校と名称変更届受理される。同年11月学校法人甲府北星高等学校を駿台甲府学園と改称。昭和55年4月に駿台甲府高等学校と改称。昭和61年4月学校法人駿台甲府学園を駿台西学園に改称。甲府市に2ヶ所(塩部校舎は普通科・今井校舎は自動車工学科&美術デザイン科)のキャンパスを持つ高校です。 |
| 校歌 | 作詞 内田 義広
作曲 藤山 一郎 若草の萌えゆく庭に 日に映える富士の嶺仰ぎ 明るき瞳は理想を宿す 緑光の空に輝く胸よ 駿台甲府学徒我等に望みあり
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(私)帝京第三高等学校 |
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住所 |
北杜市小淵沢町2148 |
| 沿革 | 昭和37年創立。 |
| 校歌 | 作詞 米山 愛紫
作曲 古谷 宏 八ヶ岳背に富士へ真向い ここ高原の町小淵沢 すがしき風を窓にそよがせ 白亜の学塔そびえて高し われら青春希望に燃えて まことまこと誠実を磨く
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(市)甲陵高等学校 |
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住所 |
北杜市長坂町長坂上条2003 |
| 沿革 | 昭和32年山梨学院大学付属高校長坂分校として創立。37年学校法人緑ヶ丘学園長坂高等学校となった。43年公立に移管。57年組合立甲陵高等学校となった。 |
校歌 |
作詞 林辺 智
作曲 林辺 智 日の本の真中に立ちて くに原をみはるかす丘 おおいなる使命をおいし 甲陵のその名を知るや
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(県)北杜高等学校 |
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住所 |
北杜市長坂町渋沢1007−19 |
| 沿革 | 平成13年に峡北高校と峡北農業高校と須玉商業を統廃合して北杜高校として創立。 |
校歌 |
作詞 中村 星湖 作曲 細川 碧 甲斐の国原極まりて 北の境にそびえたつ 登天門か八ヶ岳 その山裾の日野原に 学びの園を構えたる 我らが母校北杜高
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(県)韮崎高等学校 |
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住所 |
韮崎市若宮3−2−1 |
| 沿革 | 大正11年韮崎中学校として創立。昭和25年韮崎高校と改称した。 |
| 校歌 | 作詞 深尾 須磨子
作曲 伊藤 武雄 山なみの連なるところ 大空は世界を抱く 永遠の宇宙のきわよ 青雲は嶺に燃えたり ああ我等懐かしき この学び舎につどいて励む
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(県)韮崎工業高等学校 |
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住所 |
韮崎市竜岡町若尾新田50−1 |
| 沿革 | 昭和38年創立。 |
| 校歌 | 作詞 河野 要
作曲 近藤 幹雄 朝に富士のれい峰を 仰ぎて学ぶ若人は 真理を研め近代の 工業技術の真髄を 探求めてやまむ意気に燃ゆ ああ韮崎工業高校
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(私)日本航空高等学校 |
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住所 |
甲斐市宇津谷445 |
| 沿革 | 昭和7年10月に発足した甲府在郷軍人航空研究会が母体。14年山梨航空機関学校と改称して航空整備士養成の専門学校となる。20年終戦で一旦廃校となったが,35年に梅沢学園山梨航空工業高校と改称,54年に日本航空高校となった。 |
| 校歌 | 作詞 米山 愛紫
作曲 古関 裕而 流れ声澄む釜無しの 畔につづく野は広く 青春ここに集い来て 富士へ真向い開く窓 日本航空学園われら
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(県)山梨農林高等学校 |
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住所 |
甲斐市西八幡4533 |
| 沿革 | 明治36年県立山梨県農林学校として創立。39年山梨県立農林学校と改称。昭和23年学制改革により山梨県立農林高校と改称した。 |
| 校歌 | 作詞 石原 文雄
作曲 明本 京静 南に富士を西に駒 北に聳ゆる八ヶ岳 ここ国原のただ中に 日々新しく誠実の 花と心を培いて 咲ける農林わが母校
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(県)甲府昭和高等学校 |
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住所 |
中巨摩郡昭和町西条3000 |
| 沿革 | 昭和58年創立。 |
| 校歌 |
作詞 金田一 春彦 作曲 芥川 也寸志 紫に映ゆる山脈 いや高き雪の霊峰 朝夕に眺めさやけき わが甲府昭和高校
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(県)白根高等学校 |
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住所 |
南アルプス市上今諏訪1180 |
| 沿革 | 昭和59年創立。 |
校歌 |
作詞 飯田 龍太
作曲 團 伊玖磨 さやかなる碧空のもと 草萌ゆる桃源のあけぼの 峰高く雲に仰げば とき永久にいま鮮たなり 嗚呼われらが白根 われらが白根高等学校
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(県)巨摩高等学校 |
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住所 |
南アルプス市小笠原1500−2 |
| 沿革 | 大正12年中巨摩郡豊村の豊小学校を仮校舎に,山梨県立第三高等女学校として創立。翌13年櫛形町小笠原に校舎を移した。昭和23年の学制改革で巨摩高校となり,25年に共学に移行した。 |
校歌 |
作詞 大木 惇夫
作曲 長谷川 良夫 白根の山の青雲を のぞみて高く学ぶなり たまと澄みゆく善きこころ 実践にうつしてゆかむ ああわれらの巨摩のはらから 美わしくのびらかに 平和の虹を懸けおかな
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(県)増穂商業高等学校 |
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住所 |
南巨摩郡増穂町最勝寺1372 |
| 沿革 | 昭和23年県立第三高等女学校増穂分校として創立。31年増穂高校と改称。38年増穂商業高校と改称した。 |
校歌 |
作詞 脇 太一
作曲 森 義八郎 青雲高く陽に映える 甲斐の嶺仰ぐ若き眉 希望は燃えてはつらつと 新たな真理ひらきゆく われらが増穂高校に 今清新の光あり
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(県)市川高等学校 |
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住所 |
西八代郡市川三郷町1733−2 |
| 沿革 | 大正3年町立市川女子実業補習学校として創立。市川実科女学校,市川高等女学校を経て,昭和23年の学制改革で市川高校となり,25年県立に移管。 |
| 校歌 | 作詞 石原 文雄
作曲 坂口 五郎 蛾眉の山そそりたてるを 学び舎の窓に仰ぎて あたらしき希望抱きつ 今日も又学べる我等
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(県)峡南高等学校 |
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住所 |
南巨摩郡身延町三沢2417 |
| 沿革 | 大正12年組合立峡南農工学校として創立。昭和2年県立に移管し,23年の学制改革で県立峡南農工高校となる。32年峡南高校と改称。 |
校歌 |
作詞 中村 星湖 作曲 坂口 五郎 千鳥友よぶ富士川の 清き川瀬のをちこちに 生まれ育ちしわれわれが 目ざして集う学び舎は 勤労愛の峡南校 ああ此の伝統とこしえに
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(県)身延高等学校 |
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住所 |
南巨摩郡身延町梅平1201−2 |
| 沿革 | 大正11年身延中学校として創立。昭和23年新学制により山梨県立身延第一高等学校と改称。昭和25年に身延第一高等学校と身延第二高等学校を統合し身延高等学校に改称した。 |
校歌 |
作詞 北原 白秋
作曲 山田 耕筰 挙れよ峡南日はうち騰り 輝く若葉は嵐と勢へり 身延よ我等は光に生くべし 自学の精神燃え立つ青春 創造新に和が眼を磨かむ 輝く若葉は嵐と勢へり
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(県)石和高等学校 |
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住所 |
笛吹市石和町市部3 |
| 沿革 | 明治28年4月山梨養蚕教習所として創立,29年郡立山梨蚕業学校と改称。大正11年県立産業学校となり,昭和19年県立農蚕学校と改称した。23年の学制改革で県立農蚕高校となる。25年普通科を設置して,県立石和と改称した。 |
校歌 |
作詞 内田 義広
作曲 小出 浩平 陽に映える富士に真向い 若草の萌えゆくあした 曇りなき瞳をあげて 望おは遥か宿すはひかり 石和高校おおわが母校
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(県)山梨園芸高等学校 |
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住所 |
笛吹市石和町中川1400 |
| 沿革 | 明治28年に山梨養蚕研究所として創立。29年群立山梨蚕業学校と改称。大正11年県立山梨蚕業学校と改称。昭和19年農蚕高校と改称。25年に石和高校と改称した。36年に山梨園芸高校と改称した。 |
校歌 |
作詞 米山 愛紫
作曲 明本 京静 春三月の花風を 学びの窓にそよがせて 道を拓く人となれ 理想に燃えて青春の 友情ここに咲き薫る
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(県)日川高等学校 |
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住所 |
山梨市一町田中1062 |
| 沿革 | 明治34年山梨県第二中学校として創立し,39年日川中学校と改称。昭和23年の学制改革で県立日川高校となった。25年共学化。 |
校歌 |
作詞 大須賀 乙字
作曲 岡野 貞一 天地の正気甲南に 籠りて聖き富士が根を 高き理想と仰ぐとき 吾等が胸に希望あり
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(県)山梨高等学校 |
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住所 |
山梨市上神内川194 |
| 沿革 | 大正6年東山梨郡立実科女学校として創立。9年東山梨高等女学校と改称。昭和13年山梨県立山梨高等女学校と改称。23年山梨高等学校に改称した。 |
| 校歌 | 作詞 土岐 善麿
作曲 信時 潔 あかるき窓の朝にたてば 連山まじかく校庭ひろし さきそう桜茂る若葉 友情相呼び力あはせて 社会の中にわれらあり
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(県)塩山高等学校 |
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住所 |
甲州市三日市440−1 |
| 沿革 | 昭和31年山梨県立塩山高校として創立。38年塩山商業高校に改称したが,平成元年塩山高校に戻った。 |
| 校歌 | 作詞 勝 承夫
作曲 下総 皖一 力みなぎる大空に 見よ大菩薩高くかがやく 若き叡智の瞳をあげて 純情の友集まるところ 塩山高校清きまなびや
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(県)都留高等学校 |
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住所 |
大月市大月2−11−20 |
| 沿革 | 明治33年4月山梨県中学都留分校として創立。43年県立都留中学校として独立。昭和23年の学制改革で県立都留第一高校となり,25年女子校の都留第二高校と合併,共学の県立都留高校となった。 |
| 校歌 | 作詞 金子 彦二郎
作曲 小松 清 朝つく日影に燦たり甲斐が嶺 清純玲瓏心に占めてん 花やぐ夕日を儼たり岩殿 剛健不抜の気魄をきたへん まろらの大月平和の鑑と あふぎて高鳴く若鶴われらぞ
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(市)大月短大付高等学校 |
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住所 |
大月市御太刀1−16−2 |
| 沿革 | 昭和31年創立。 |
校歌 |
作詞 内田 義広
作曲 藤山 一郎 新しい世代の黎明 純白の富士を仰げば 輝く胸にきらめく叡智 希望の窓に花ひらく 大月学園われらが母校
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(県)谷村工業高等学校 |
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住所 |
都留市上谷5−7−1 |
沿革 |
明治29年南都留郡染色学校として創立し,昭和16年谷村工商学校と改称。25年に谷村南高等学校、谷村東高等学校の両校を統合し、山梨県立谷村高等学校と改称。45年谷村工業高等学校と改称した。 |
| 校歌 |
作詞 神保 光太郎 作曲 貴島 清彦 甲斐のくにはら晴れ渡り 父なるすがた富士ヶ嶺よ われら若きいのちおおらかに 羽ばたくかなた希望の未来 谷村高校 谷村 誉れの母校
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(県)桂高等学校 |
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住所 |
都留市四日市場909 |
| 沿革 | 昭和41年創立。 |
校歌 |
作詞 深尾 須磨子
作曲 諸井 誠 凝る精気富岳の雪に正す心が学びや ここ石花海の山峡に真理を求め幾とせを 学ぶもの鍛えるもの夢ははるか世界のはてに みどり燃える桂の若木かおれかおれ 桂 桂 桂高校
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(県)上野原高等学校 |
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住所 |
上野原市八ツ沢555 |
| 沿革 | 昭和54年創立。 |
校歌 |
作詞 内田 義広
作曲 藤山 一郎 御前山そば立つところ 山もみじ窓辺にかおる たくましく自律の心燃して われらは鳴らす理想の鐘を 意気高らかに歌声ひびく 上野原清新なわれらの母校
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(私)日大明誠高等学校 |
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住所 |
上野原市上野原3200 |
| 沿革 | 昭和35年創立。 |
| 校歌 | 作詞 森脇 一夫
作曲 岩河 三郎 朝日に映えてそそり立つ 富嶽の姿さながらに 浄く正しく明けらけく 至誠の道を貫かん われ詠嘆の声あげて 明誠われらが母校 明誠われらが母校
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(県)吉田高等学校 |
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住所 |
富士吉田市下吉田2075−2 |
| 沿革 | 昭和13年4月県立岳麓農工学校として創立。23年の学制改革で岳麓農工高校となり,25年岳麓高校(旧岳麓高女)と統合して吉田高校と改称した。 |
| 校歌 | 作詞 渡辺 紀代子
作曲 信時 潔 朝日子映ゆる富士が嶺を 学びの庭にあをぐ時 夕ぐもひくきすそ野路を かつらの岸に見やる時 なごみ我等とともにあり
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(県)富士北稜高等学校 |
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住所 |
富士吉田市新西原1−23−1 |
| 沿革 | 平成16年に北富士工業高校と吉田商業を統廃合して富士北稜高校として創立。 |
校歌 |
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(私)富士学苑高等学校 |
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住所 |
富士吉田市緑ヶ丘1−1−1 |
| 沿革 | 昭和30年富士商業学院として創立。32年富士商業学校と改称。37年富士商業高校と改称し,翌38年富士学苑高校と改称した。 |
| 校歌 | 作詞 有賀 要次郎
作曲 天田 繁 恵みの園あさみどり 仰ぐ希望の富士の影 春また春といそしめば 心にふかくきざまれん ああ我等が富士学苑高校
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(県)富士河口湖高等学校 |
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住所 |
南都留郡富士河口湖町船津6663−1 |
| 沿革 | 昭和52年創立。 |
| 校歌 | 作詞 岡部 襄
作曲 高田 三郎 冷たい風が樹海に 朝の光を運べば 若さあふれるわれらの さあ一日が始まる 豊かな心と友情を 求めつづける若き日日
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